微生物人

微生物人・出光の挑戦/食の安全に挑む、ミクロの生物

「無農薬の農薬?」

「…いえ、農薬というか、農菌というか。正体は、納豆菌ですからね。」

1992年7月。
出光中央研究所の生化学研究室で鎌田は、上司の土井に、新しい開発のテーマを説明していた。

「その納豆菌が、野菜につく悪い菌を殺すってワケ?」
「べつに、殺すわけじゃありません。」
「どういうことだ?」
「殺すのでなく、繁殖できなくさせる。納豆菌を花の周りに繁殖させて、
トマトやナスの病気の原因となる灰色カビ菌の、繁殖をできなくさせてしまうんです。」

出光へ入社して9年。
微生物の力を利用して石油からタンパク質を産みだす「石油タンパク」、
微生物を触媒として、物質を変化させる「バイオリアクター」など、
様々なテーマを研究しつづけてきた鎌田には、ある悩みがあった。

技術が、利益に変わらない。
確かに研究者として、多くの技術は生みだしてきた。
だがその技術が、商品にならない。
「自分の研究が、カタチになるのを見たい。そして世の中の役に立ちたい。」
そんな想いを抱きながら、技術の商品化を模索する鎌田が、ついに見つけた開発テーマ。
それが後に、出光「アグリバイオ事業」の中核となる、
納豆菌と植物の共生を利用した「生物農薬・ボトキラー」だった。

開発スタートから4年、(社)日本植物防疫協会の協力を受けながら、
ボトキラーの効果は、試行錯誤を繰返しながらも、立証されつつあった。
だが、商品化への道のりは決してやさしい道のりではなかった。
もともと人畜に無害な納豆菌の仲間を使っているといっても、商品は「農薬」である。
ふだん食べているものだから、たぶん安全などと農林水産省の認可が下りるわけがない。
だが当時の日本には生物農薬認可のための、明確なガイドラインすら、
まだ存在していなかったのである。

「まぁ、500万円ぐらいですかね。」
「えっ…?」
「画期的なのはわかりますけどね。でも最初の引き合いは、
そんなもんでしょう。」
ある農薬メーカーの担当者の言葉に、鎌田は耳を疑った。

化学農薬の市場は当時、日本全体で約4000億円。
食の安全への関心が高まっているこの世の中で、生物農薬の需要が、そんなに低いわけはない。
知ってもらえさえすれば、必ず売れるはずだ。だがどうすれば、
もっと農家の方たちに知ってもらえるのか。

「キミに、いいものをあげよう。」
紙袋を手渡しながら、出光中央研究所、所長の小野は言った。
その紙袋に入っていたものは、一足のゴム長靴。
ボトキラーの販促に悩む鎌田への、解答であった。

「机の前で悩んでも、どうにもならんだろう。
その靴をはいて全国の農家をまわって、君が生んだ技術を、君自身で利益に変えてきたまえ。」
生みの親から、売りの親へ。
その日から、ボトキラー開発担当の鎌田は、ボトキラー営業担当の鎌田になった。

「可及的速やかに追加製造してくれ。」
ボトキラーが発売してわずか20日。
鎌田は、ボトキラーの製造担当に頼みこんでいた。
「いつまでに、どれぐらいできるか、すぐに報告してほしい。」
発売と同時にボトキラーの注文は、全国の農家から殺到した。
そして2000年、
ボトキラーの初年度の販売は当初見込みの500万円の20倍である一億円を超えるものとなった。

「あれから6年。競合商品も増えました。
でもそれは、出光にとっても、日本のみんなにとってもいいことですよね。」
鎌田は言う。
「市場が活性化しないと、技術は改良されません。
その中で、がんばって先頭を走り続ければいいんです。」

現在の日本の生物農薬市場は約20億円。
鎌田たちの開発は、今日もその市場をリードし続けるものとなっている。

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