サービスステーション開発人

サービスステーション開発人・出光の挑戦/
まだ見ぬサービスステーションの、可能性を探して

「八甲田が収用?」

平成11年7月、出光興産東北支店。
電話の向こうで、東京本社の担当は続けた。
「今日、青森市役所から告知があってね。
サービスステーションの9割が道路になるらしいから、これはもう移転しかないね。」
青森市の市道の交差点拡幅事業にともなう、サービスステーション移転。
それが、柴が受け持つことになった業務であった。

全国にサービスステーションを持つ出光にとって、
土地収用による移転はけっして珍しいことではない。
だがそのための作業に、同じものは一つとしてない。
新しく賃貸できる土地はあるか。
出光として、運営販売店としての採算はとれるか。
建築法の基準は、消防法の基準はクリアできるか。
一つでもハードルを越えられなければ、その作業は一からの出直しになる。

「まぁ、なんとかなるだろう。」
大学で水産学部に席を置き、ミジンコの研究に没頭しながらも、
まったく畑違いの出光に入社しただけあって、万事楽観的な柴はそう思った。
だが、その見込みがあまりにも甘く、そして若かったことを、
この時の柴がまだ知る訳はなかった。

「買い取りでねぇと、ダメだね。」
何度耳にしたかわからないその台詞を、その地権者もまた柴に伝えた。
「いい場所を見つけるまで、帰ってこなくてもいいぞ。」
そんな支店長、福永の台詞に時に反発し、時に励まされながら、
柴はただただ近隣の地権者をたずね歩き続けた。

「めぼしい土地は、すべてまわった。これ以上は、もう無駄かもしれない。」
そんなあきらめが頭をよぎりだしたある日、
八甲田サービスステーションのある土地の裏手にあった大型家電店が移転、
土地を売却するというニュースが柴のもとに届いた。

だが収用の期限は、あと半年にまで迫っていた。
これまでの4倍 1200坪もの広さの土地の交渉を、そんな短期間でまとめることは、
まず不可能といえる。
収用を延期してもらうしかない。
そして、たぶんこれが最後のチャンスだろう。
その想いを胸に柴は一週間後、青森市役所を訪れた。

「出光が買えないなら、私が買います。」
移転作業に取りかかってから、すでに6年。
青森市を中心に出光のサービスステーションを展開する
販売店のオフィスで、小鹿社長は言った。
「自分で融資を受けてでも、あの場所に移転したい。
あの場所なら必ず成功する。いや、私が成功させてみせます。」

ここしかない。
その思いは柴も同じだった。だがこの土地を買う条件は、全部売却。
1200坪で億を越える買収リスクを、販売店に負わせることは、もちろん出光にはできない。

「わかりました…とはいえません。でも、余った土地をどう使えば採算が取れるのか。
もう一度考えてみましょう。」

油を売るだけが、サービスステーションの仕事ではない。
一人でも多くのお客様に来店してもらえる、そしてサービスを提供できるスペースを作れば、
採算は取れるはずだ。
「足の次は、頭を使え…か。」
その日から柴は出光の、日本中のサービスステーションの事例を調べた。
そしてまだ見ぬ、新しいサービスステーションの可能性を探し続けた。

「新しいサービスステーションは、セルフでいきます。」柴は言った。
「セルフ給油で、24時間営業にすれば採算も上がるし、お客様へのサービスも向上します。
さらに洗車、車検、タイヤ交換も全部やって収益率を高めます。」
「で…残りの土地はどうするんだ?」
うながす福永に、柴は続けた。
「他業種の店舗に出店してもらいます。すでに内諾も受けています。
とにかく1200坪フルに使って、なんとか採算を取ってみせます。」

平成17年5月18日。
「セルフ青葉サービスステーション」として、
新しく生まれ変ったサービスステーションの開所式が行われていた。
オープン初月の売り上げは、燃料油だけで移転前の数倍。
タイヤをはじめとする燃料油以外の販売も順調で、
出光東北支店の中でもトップクラスの売上げを誇るサービスステーションとなった。

「苦労したサービスステーションは必ず売れる。と、この業界では言います。
でも違うと思うんですよね。
苦労しなきゃ、いいサービスステーションはつくれない。
それだけのことだと思うんです。」
今もまた、2つのサービスステーション移転に取り組んでいる彼はそう言う。

「おかげで、婚期のがしちゃったんですけどね。」
柴恒久、35才。ただいま花嫁募集中、だそうである。

エントリーへ
マイページへ
インターン情報