有機EL人

有機EL人・出光の挑戦/未来を照らすディスプレー

「出光だから、有機なんだよ。」

千葉県の中央研究所の一室で、まだ配属されたばかりの新任研究員細川が思わず口にした疑問に、上司の楠本はそう答えた。
そう返事する梶本に、丸茂は短く答えた。

大学・大学院とずっと物理学を専攻してきた細川にとって、有機電子材料の開発というのは、
まったく畑違いの分野であった。
しかもその当時、これからの電子材料としてもっとも注目を浴びていたのは、
無機半導体でありまだ、海のものとも、
山のものとも知れない有機発光素材の開発になぜ自分が取り組まなければならないのか…
そんな疑問をいだきながらも、細川の有機EL開発は、1986年の春にそのスタートをきった。

研究をはじめて3年がたつころ、日一日一日と強くなる細川の情熱とは逆に、
社内の有機ELへの関心は薄れはじめていた。
「有機物って、極端に言えば生物でしょ?生物に電気流したって、光らないんじゃないの。」
およそ研究者らしくもない、そんな軽口をたたくものまであった。
だが、実はその頃、すでに細川は明るい場所でもそれとわかるほどの青い光を放つ蛍光材料
「ジスチリルアリーレン」を発見していた。
青色の光は、当時、まだ無機半導体でも出せなかった画期的な成果であった。
だが問題は、光の寿命にあった。
電気を流してから、光が消えるまでの時間が、わずか1分にも満たなかったのである。

「実用化の形がなんにせよ、最低でも1万時間の耐久性と、現状の10倍の光量が必要だ。」
細川が、抱えていたその問題が、ついに解決されたのは、1997年。
「添加物を入れたら、寿命まで伸びたぞ!」
ある日、細川が有機ELの発光色を変えるために添加した「スチリルアミン」は、
思わぬ副作用として、ジスチリルアリーレンの光量と寿命の問題まで解決したのである。

「あ、これなら採用できるかも。」
あっさりと、そう言うカーオーディオメーカーの開発担当の前には、
すでに36才となった細川が立っていた。

「カーオーディオのディスプレーは、青か白でなければ売れない。」
とまで開発担当者が言いきる貴重な青色光。
細川の有機ELにしか出せない、その青色の光が、はじめて商品として意識されたその瞬間は、
細川の10年間が、研究のための研究ではなく、商品開発のための研究であったことを、
証明した瞬間でもあった。

「発表は大丈夫か?」
1997年、米国での国際ディスプレー学会で、世界初の有機ELテレビを発表するために、
細川と上司の木村は、ボストンのカンファレスセンターを訪れていた。
前日の夜、レストランでニコりともせずに報告を聞く木村へ、細川は言った。
「とりあえず、そんなことで頑張ります。」
テーブルの上では、運ばれてきたばかりのステーキが旨そうな湯気を立ち上らせている。
しかし、フォークも握らないまま木村は言った。
「それだけでは、だめだ。それで誰も振り向かなかったら、どうするんだ。」

翌朝、会場にきた細川の手には、3行ほど英語の書かれた紙の束が握られていた。
昨晩、木村が細川につくらせたものはこれであった。
「世界初、有機ELテレビ」
と書かれたそのポスターを、細川は祈るような気持ちで会場に貼って歩いた。

「大成功だったな。」
発表を終えた細川に木村は言った。
「本当ですか?」
「ガラガラだったお客が、お前の出番だけ4〜500人に増えたのが、見えなかったのか?」
この発表を境に、有機ELディスプレーの可能性は、世界中の電機メーカーからの注目を集め、
本格的な開発が一気に始まることになる。

「あれから8年※1。有機ELが、本当に活躍する時代はこれからです。メーカーさんには、
すごいことを考えている人がいますからね。
想像もできなかったようなディスプレーが、これから生まれてきますよ。」
そう話す細川の瞳の奥には、どんな新しいディスプレーの未来が、映し出されているのだろう。

※1 2005年の回想。

エントリーへ
マイページへ
インターン情報