神の島・沖ノ島と大社の神宝 宗像大社国宝展 2014年8月16日(土)~10月13日(月・祝) 出光美術館 IDEMITSU Museum of Arts 東京・丸の内 神の島・沖ノ島と大社の神宝 宗像大社国宝展 2014年8月16日(土)~10月13日(月・祝) 出光美術館 IDEMITSU Museum of Arts 東京・丸の内

開催概要 開催概要



趣旨

古来、日本と海を隔てた大陸を結ぶ海上交通の要衝として重要視され、人やモノを運び、文化を伝え育んできた宗像(むなかた)。九州北部、沖合の大島(おおしま)、そして沖ノ島(おきのしま)をあわせたこの宗像の地に三人の女神を祀る宗像大社(むなかたたいしゃ)があります。朝鮮・中国、さらには遠くペルシャの工芸品も含み、「海の正倉院」とも呼ばれる沖ノ島出土の国宝約8万点をはじめとする神宝や、中世の古文書類や福岡藩主により奉納された扁額などの貴重な資料を厳選し、宗像大社の悠久の歴史をご紹介します。
また、沖ノ島の奉献品とならび称される伊勢神宮の神宝が特別出品されます。さらに、出光コレクションより大社ゆかりの品々にちなんだ仙厓(せんがい)の書画をあわせ、全106件の作品を展示します。

開催期間
2014年8月16日(土)~ 10月13日(月・祝)
開館時間
午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
毎週金曜日は午後7時まで開館(入館は午後6時30分まで)
休館日
毎週月曜日(ただし、9月15日、10月13日は開館)
列品解説
8月21日(木)、9月4日(木)、9月18日(木)、10月2日(木)、いずれも午前10時30分より
8月22日(金)、9月5日(金)、9月19日(金)、10月3日(金)、いずれも午後6時より
(事前の申し込みは不要・入館料のみ)
会  場
出光美術館 http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/index.html
〒100-0005 東京都千代田区丸の内3-1-1 帝劇ビル9階(出光専用エレベーター9階)
TEL ハローダイヤル 03-5777-8600(展覧会案内)
http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/index.html
特別協力
神宮司廳
主  催
宗像大社、出光美術館、日本経済新聞社

宗像大社とは

宗像大社と沖ノ島 宗像大社と沖ノ島

宗像大社写真 宗像大社写真

宗像大社について

宗像大社は天照大神(あまてらすおおみかみ)の三柱の御子神(みこがみ)をまつる三宮の総称です。各宮にまつられている三女神の名前は 田心姫神(たごりひめのかみ)、湍津姫神(たぎつひめのかみ)、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)で、田心姫神は沖津宮(おきつぐう)、湍津姫神は中津宮(なかつぐう)、市杵島姫神は辺津宮 (へつぐう)にまつられています。
宗像の地は、中国大陸や朝鮮半島に最も近く、外国との貿易や進んだ文化を受け入れる窓口として、重要な位置にありました。 日本最古の歴史書といわれる「日本書紀」には、「歴代天皇のまつりごとを助け、丁重な祭祀を受けられよ」との神勅(しんちょく)(天照大神の言葉)により、三女神がこの宗像の地に降りられ、まつられるようになったことが記されています。

石造狛犬一対写真 石造狛犬一対写真

石造狛犬 一対 中国・南宋時代 重要文化財

宮司からのご挨拶

沖ノ島とは

沖ノ島写真 沖ノ島写真

沖ノ島について

沖津宮がまつられている沖ノ島は、九州と朝鮮半島とを結ぶ玄界灘(げんかいなだ)のほぼ中央にあります。また、女性はこの島には渡れないといった、古代からの禁忌(風習)を今でもそのまま守り続けている神の島でもあります。この島からは、鏡、勾玉(まがたま)、金製の指輪など、約8万点の貴重な宝物が見つかり、国宝に指定されました。これらの宝物は国家の繁栄と海上交通の安全を祈るために、神様にお供えされたものです。その内容や遺跡の規模の大きさなどから、沖ノ島は「海の正倉院」ともいわれています。現在、これらの神宝は、辺津宮にある神宝館(しんぽうかん)に所蔵、展示されています。

岩陰祭祀遺跡22号写真 岩陰祭祀遺跡22号写真

みどころ みどころ



門外不出の作品をはじめとする沖ノ島出土の国宝62件が集結!

―約8万点におよぶ作品群の中から厳選された至宝の数々
昭和29~46年(1954~71)にかけて行われた沖ノ島学術調査の成果を紹介した昭和52年(1977)の「宗像 沖ノ島展」(出光美術館で開催)以来、37年ぶりに約8万点におよぶ沖ノ島出土の国宝から厳選された至宝の数々が当館で展示公開されます。4世紀の古墳時代から9世紀の平安時代におよぶ多様な奉献品62件のうち、2件は宗像大社神宝館以外では初の公開となります。

中世・近世の宗像大社史料を一挙公開

-中世の北部九州で活躍した大宮司家と福岡藩政下の田島社をめぐって
この時代の貴重な史料として、平安時代末期から戦国時代まで、北部九州・宗像の地を司った大宮司家(だいぐうじけ)関連の古文書類にあわせ、南宋交易の跡を示す石造狛犬などの作品を展示します。一方、大宮司家断絶の危機を乗り越えた江戸時代には、福岡藩政下にあって地元の古社・田島社(たしましゃ)として尊崇をあつめ、藩主黒田家から刀剣や三十六歌仙図扁額などの品々が奉納されています。これら中世・近世の宗像大社の動向を示す史料を東京で初公開します。

伊勢神宮の神宝が特別出品

―沖ノ島の奉献品と伊勢神宮の神宝のつながり
昨年、平成25年(2013)は両正宮ならびに第一別宮の式年遷宮によって伊勢神宮に大きな関心が集まりました。遷宮の度に調進される神宝は沖ノ島に奉献された品々と並び称されるものです。本展では沖ノ島奉献品との関連性を示す作品のほかに、「金銅御高機(こんどうのおんたかはた)」をはじめとする沖ノ島奉献品の往時の姿を髣髴とさせる神宝の数々を、特別に展示公開します。

沖ノ島出土の国宝に関連する作品や、仙厓が描いた宗像大社ゆかりの書画も展示

―初公開の仙厓筆「宗像三女神画賛」や色定法師「一筆一切経」断簡
長年の風雪や浸食をうけて破片となってしまった沖ノ島出土の奉献品の姿を想像させる「浮出切子碗」(岡山市立オリエント美術館所蔵)や「三彩長頸瓶」(東京国立博物館所蔵)、旅好きの博多の禅僧・仙厓が宗像大社を訪れたことを思わせる書画(当館所蔵)などゆかりの作品もあわせて公開します。特に、宗像三女神を描いたと思われる「宗像大社三女神画賛」や宗像社の社僧であった色定法師(しきじょうほうし)による「一筆一切経」断簡と、それに添えられた仙厓の書は初公開となります。今回、興聖寺(こうしょうじ)より出品される「一筆一切経」(宗像大社保管)とは実に200年ぶりの再会となります。

展示作品の紹介 展示作品の紹介



  • 宗像三女神画賛

    プロローグ 江戸時代

    仙厓筆 / 出光美術館蔵

    宗像三女神画賛
    沸き立つ瑞雲(ずいうん)の中に長い髪を両肩に垂らした三人の女神が描かれています。博多・聖福寺(しょうふくじ)住職の仙厓(せんがい)が描いた宗像三女神(むなかたさんじょしん)の図です。
    画面上部には『古事記(こじき)』や『日本書紀(にほんしょき)』、『延喜式(えんぎしき)』に記載される主要な神々の名称や、『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』に登場する「十種神宝(とくさのかんだから)」の名称と図が表されています。仙厓が本図を制作した意図は判然としませんが、地元の宗像大社に対する仙厓の個人的な崇敬と関心から本画賛が制作されたことは間違いないでしょう。
  • 内行八花文鏡

    第1章 古墳時代

    沖ノ島19号遺跡出土 / 宗像大社蔵

    国宝内行八花文鏡 ないこうはちかもんきょう
    鏡背面中央の四葉鈕座(しようちゅうざ)から同心円状に櫛歯文(きょしもん)、素文(そもん)、珠文(じゅもん)、結紐文(けっちゅうもん)、雲雷文(うんらいもん)の順に文様帯をめぐらし、乳(にゅう)と呼ばれる突起装飾を各所にあしらっています。径24.8cmという大きさは沖ノ島出土鏡群中最大級で、文様構成のバランスや鋳上がりもすばらしい優品です。
    古代日本において鏡は権威の象徴として有力者の墳墓にさかんに副葬される一方で、聖なる神器として祭儀に欠かせないものでした。70面を超すこのような銅鏡の大量出土は、沖ノ島の祭祀が極めて重要な意味を持っていたことを示しています。
  • 勾玉・棗玉・臼玉・管玉類

    第1章 古墳時代

    沖ノ島19号遺跡出土 / 宗像大社蔵

    国宝勾玉・棗玉・臼玉・管玉類
    硬玉(こうぎょく)・碧玉(へきぎょく)・水晶・雲母片岩(うんもへんがん)・滑石(かっせき)など、多様な石材を用いて製作された勾玉(まがたま)や棗玉(なつめだま)・臼玉(うすだま)・管玉(くだたま)と呼ばれる玉類です。通常は装身具として用いられることの多い玉類ですが、勾玉のように特別な形をした玉類は榊(さかき)などに結びつけられて神の座である磐座(いわくら)へ奉献されたものと考えられます。
    古代日本で権威の印とされた鏡・玉・刀剣、いわゆる「三種の神器」(さんしゅのじんぎ)がそろって沖ノ島から出土することは注目される特徴です。
  • 金銅製心葉形杏葉

    第1章 古墳時代

    沖ノ島7号遺跡出土 / 宗像大社蔵

    国宝金銅製心葉形杏葉
    杏葉(ぎょうよう)は、鞍から馬の胸部や尻部にのびる革帯に下げた飾り金具のことで、ハート形をしていることから心葉形(しんようがた)と呼ばれます。
    金銅板(こんどうばん)を重ね、翼を広げた鳥人像(ちょうじんぞう)と唐草文を組み合わせた装飾を、透彫りと蹴り彫り(けりぼり)技法を組み合わせて見事に表現しています。羽ばたく鳥人像は朝鮮半島北部にあった高句麗(こうくり)の古墳壁画などにも類例があり貴重です。
  • 金製指輪

    第1章 朝鮮・新羅時代(三国時代、5-6世紀)

    沖ノ島7号遺跡出土 / 宗像大社蔵

    国宝金製指輪
    中央を上下に突出部を持つ菱形に作り出した金製の指輪です。菱形の中心には4枚の花弁状の装飾をあしらい、花弁の間および指輪を一周めぐるように円環状の装飾があしらわれています。これらの飾りはすべて細い金線を蠟付けして作り出しています。上下の縁には刻み目を入れた縁金が同じように蠟付けされています。
    このような金製指輪の類品は韓国慶州の三国時代新羅(しらぎ)の王陵からの出土が報告されており、沖ノ島7号遺跡出土のこの指輪も朝鮮半島、新羅(しらぎ)からもたらされたものと考えられます。
  • 金銅製龍頭

    第2章 中国・東魏時代

    沖ノ島5号遺跡出土 / 宗像大社蔵

    国宝金銅製龍頭 一対こんどうせいりゅうとう
    鋭い眼と湾曲して後ろへ伸びる角、先端を大きく開いて鳥の嘴状(くちばしじょう)に尖らせた分厚い唇からは、するどい歯をむき出しています。いかにも迫力のある龍の頭部をあらわした一対の作品です。内部は空洞になっており、後端部は筒状をしています。
    中国、敦煌の莫高窟(ばっこうくつ)にはこのような龍頭の飾りをつけた天蓋(方形の天蓋をさしかける柄からつり下げる部分の装飾金具として使用)の図がみられます。ただし、龍頭の表現はやや時代の遡る天龍山石窟(てんりゅうざんせっくつ)の石彫に類似していることから6世紀半ば頃の作と考えられます。
  • 唐三彩長頸瓶片

    第2章 中国・唐時代

    沖ノ島5号遺跡出土 / 宗像大社蔵

    国宝唐三彩長頸瓶片
    丸い胴部に長く伸びた頸部を持つ、長頸瓶(ちょうけいへい)と呼ばれる中国・唐時代の水瓶(すいびょう)の破片です。
    白い素地に緑、白、褐色の釉薬を流し掛けした三彩(さんさい)と呼ばれるタイプの鉛釉陶器(えんゆうとうき)で、胴部は大きな花模様のようなメダイヨン状の貼花文(てんかもん)で装飾されていたと推定されています。
    初唐時代、7世紀後半頃に現在の中国・河北省(かほくしょう)にあった窯で焼成されたものと推定され、遣唐使(けんとうし)によってもたらされた可能性が高いと考えられています。
  • 奈良三彩小壺

    第2章 奈良時代

    沖ノ島1号遺跡出土 / 宗像大社蔵

    国宝奈良三彩小壺
    奈良時代に日本で製作された色鮮やかな鉛釉陶器(えんゆうとうき)の蓋付小壺です。
    中国・唐時代に流行した陶器の装飾技法で、白・緑・褐の三色の色釉を掛けわけた三彩(さんさい)の影響を受けて奈良の官営工房で製作され、沖ノ島にもたらされたと考えられています。
    このような奈良三彩の小壺は、大陸に向かう瀬戸内海の航海ルート沿いに点在する祭祀遺跡(さいしいせき)からも出土しています。なかでも沖ノ島は質・量ともに群を抜いており、航海の無事を祈る国家祭祀において、大和朝廷(やまとちょうてい)が沖ノ島に対して強い崇敬の思いを持っていたことを物語っています。
  • 金銅製高機

    第2章 奈良~平安時代

    伝沖ノ島出土 / 宗像大社蔵

    国宝金銅製高機
    沖ノ島の御金蔵(おかなぐら)、つまり、第4号遺跡から出土したものであるという伝承を持つ金銅製(こんどうせい)の織機(おりき)の雛形(ひながた)、つまり、ミニチュアです。
    足の操作で経(たていと)の開口を行う「地機(じばた)」の非常に精巧な模型で、部品もほぼ揃い、実際に織ることも可能です。つまり、古代の機の姿をそのままに残す逸品ということができるでしょう。
    伊勢神宮(いせじんぐう)の内宮(ないくう)の御装束・神宝を記した9世紀の記録にも登場する高機(たかはた)の現存古例としても注目されます。
  • 金銅御高機 附 架

    特別出品 昭和29年(1954)調進

    伊雑宮御料 / 神宮司庁蔵

    金銅御高機 附 架
    金銅御高機(こんどうのおんたかはた)は『皇太神宮儀式帳(こうたじんぐうぎしきちょう)』 (804年)に「伊雑宮(いざわのみや)神財金高機一具。本高三寸」とあり、両正宮(りょうしょうぐう)、別宮(べつぐう)をあわせ唯一伊雑宮神宝として記載されているものです。
    15世紀に調進されたとみられる出土品の金銅御高機も、ほとんど現在調進の御料と同形で、調整伝承がいかに忠実であったかを伺わせます。しかし、理由は不明ですが、織機としては機構上に不自然な点がいくつかあり、正確な織機のミニチュアではないようです。付属の架(か)は、経糸(たていと)を整える台に相当するのではないかと考えられています。
  • 源頼朝書状

    第3章 元暦2年(1185)

    宗像大社蔵

    源頼朝書状
    源頼朝(みなもとのよりとも)が旧知の藤原隆頼(ふじわらのたかより)に対して昇進の推薦をし、肥前国小城郡晴気領(ひぜんこくおぎぐんはるけりょう)を志として進呈することを知らせた手紙です。頼朝は伊豆配流(はいる)時代に隆頼との交流を持つようになったが、本書状の内容はその時の恩義に報いたものと思われます。
    その後、晴気領は隆頼の子孫に伝領されていましたが、建治3年(1277)に宗像大宮司長氏(むなかただいぐうじながうじ)の妻(晴気領を伝領していた女性)が息子にこれを譲与したことを機に、宗像大宮司家の所領となったため、この文書が宗像大社に伝わっているのです。
  • 石造狛犬 一対

    第3章 中国・南宋時代

    建仁元年(1201)奉納 / 宗像大社蔵

    重要文化財石造狛犬 一対
    子獅子を抱く阿形(あぎょう)、玉を持つ吽形(うんぎょう)の狛犬一対です。石灰岩のかたまりから台座も含めて彫り出しています。優れた彫技を示しており、中国・南宋(なんそう)からの渡来品と考えられています。
    鎌倉時代に宗像大宮司家(むなかただいぐうじけ)にもたらされ、建仁元年(1201)に宗像大社の第三宮(ていさんぐう)に奉納されたことが背中に彫られた銘文から判明します。奉納理由や背景については不詳です。しかし、本像は宗像地域と南宋との交流を示す貴重な証拠として重要です。
  • 三十六歌仙図扁額 小野小町

    第4章 延宝8年(1680)

    書:藤原基時筆 絵:狩野安信 / 宗像大社蔵

    三十六歌仙図扁額 小野小町
    延宝8年(1680)に福岡藩第三代藩主黒田光之(くろだみつゆき)によって宗像大社に奉納された三十六歌仙の図と歌を描いた絵馬の一枚です。
    書は能書家の藤原基時(ふじわらもととき)、絵は江戸幕府の御用絵師(ごようえし)となり江戸城の障壁画(しょうへきが)製作などに関わった狩野安信(かのうやすのぶ)です。三十六歌仙は狩野派通例の歌仙表現に従って描かれたものですが、その謹直な表現は扁額製作の棟梁役を務めた安信の誠実で生真面目な性格を反映し、重厚な仕上がりとなっています。

展示構成 展示構成



プロローグ 宗像三女神と宗像大社

福岡県にある宗像大社(むなかたたいしゃ)は、玄界灘(げんかいなだ)のほぼ中央に位置する沖ノ島(おきのしま)の沖津宮(おきつぐう)、沖合の大島にある中津宮(なかつぐう)、そして宗像市内神湊(こうのみなと)港近くにある辺津宮(へつぐう)という三宮の総称です。三宮には天照大神(あまてらすおおみかみ)と素戔鳴尊(すさのおのみこと)との誓約(うけい)によって誕生した三人の女神(宗像三女神 むなかたさんじょしん)、田心姫神(たごりひめのかみ)・湍津姫神(たぎつひめのかみ)・市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)が祀られています。三女神はあらゆる道(交通・交流)をつかさどる最高神「道主貴(みちぬしのむち)」として天孫(歴代天皇)のまつりごと(統治)を助け、丁重に祀られることを天照大神より約束されて筑紫・宗像の地に天降り、以来、国家の守護神として尊崇され続けてきました。
宗像大社に伝わる版本『日本書紀』や、博多・聖福寺(しょうふくじ)の住持(じゅうじ)、仙厓(せんがい)筆の「宗像三女神画賛」、さらには江戸時代の貝原益軒(かいばらえきけん)がまとめた『宗像三社縁起』などによって三女神の誕生と宗像大社の由来をご紹介します。

第1章 神の島 沖ノ島-宗像三女神への祈りとかたちI : 岩上・岩陰遺跡

古代日本における宗像三女神信仰の歴史を、4世紀後半から9世紀にわたる沖ノ島祭祀遺跡出土の国宝約8万点から厳選した作品とともに二章にわけて紹介します。
海外との交通・交流の舞台となった玄界灘に宗像一族が勢力を持ったのち、百済(くだら)との通交をきっかけに沖ノ島でヤマト王権による国家祭祀が始まりました。当初は巨岩を盤座(いわくら)とし、その上面に祭場を営んでいましたが、次第に祭場は岩陰(いわかげ)へと移っていきます。「鏡・刀剣・玉」という三種の宝物を中心とした岩上祭祀(がんじょうさいし)期の奉献品の中でも銅鏡類は同時期の大型古墳副葬品に匹敵する充実した量と内容を示しており重要です。また、馬具など、朝鮮半島からの多様な将来品が加わる岩陰祭祀(いわかげさいし)期では、朝鮮半島・新羅(しらぎ)の王墓副葬品に類例がある「金製指輪」やペルシャ地方からの伝来が考えられる「カットグラス碗片」など、半島との活発な外交やシルクロードを介した東西交渉の跡を感じさせます。

第2章 神の島 沖ノ島-宗像三女神への祈りとかたちII : 半岩陰・半露天、露天遺跡

沖ノ島での祭祀は7世紀後半以降、祭場が半岩陰(はんいわかげ)・半露天(はんろてん)へ、さらに露天(ろてん)へと変化していきます。この時期の特徴は「金銅製龍頭(こんどうせいりゅうとう)」や「唐三彩長頸瓶片(とうさんさいちょうけいへいへん)」など、中国・東魏(とうぎ)や唐時代に類例がみられる奉献品を含んでおり、日本の対外政策が中国大陸寄りへと変化したことを反映しているようです。また、「金属製雛形品(きんぞくせいひながたひん)」の増加はのちの律令祭祀(りつりょうさいし)の発現を表す大きな特徴の一つです。さらに、弘仁9年(818)以降に流通したとされる皇朝銭(こうちょうせん)「富寿神宝(ふじゅしんぽう)」の出土は、9世紀まで沖ノ島祭祀が続くことを示す資料となります。9世紀末の遣唐使廃止により国家祭祀が終焉すると、宗像三女神の祭祀の主体は沖ノ島から本土の辺津宮へと移ってゆき、中世をむかえることになります。

特別出品 伊勢神宮 神宝の世界

昨年、平成25年(2013)に両正宮ならびに第一別宮の式年遷宮(しきねんせんぐう)を終えたことで話題になった伊勢神宮。遷宮にあわせて数々の御装束神宝が新たに奉献されたことでも話題になりました。今回は膨大な神宝類の中から沖ノ島出土の奉献品と並び称されるものを厳選してご紹介します。特に、「金銅御高機(こんどうのおんたかはた)」や紡績具(ぼうせきぐ)類などは、その形状までもが類似することから、律令祭祀(りつりょうさいし)の成立と継承を考える上で大変重要です。往古の伝統が息づく神宮の神宝の数々をじっくりとご堪能ください。

第3章 宗像大社文書の世界 ―宗像大宮司家と中世の海外交渉

外交政策の転換により大和朝廷を中心とした対外交渉の時代は終焉をむかえます。公家にかわって台頭してきた武家勢力の伸張にあわせ、神郡(しんぐん)・宗像を司る大宮司家(だいぐうじけ)と武家政権との間に御家人(ごけにん)関係が成立し、この新たな体制を基盤に、古代よりつちかった宗像一族の巧みな航海術と外交術を背景とした対外交渉の新時代が展開します。「宗像大社文書」は、ちょうどこの転換期にあたる平安時代末期から戦国時代にかけての宗像大宮司家の政治・外交活動をたどることの出来る最高の史料です。今回は「寄物(よりもの)」という難破船やその積荷など海辺に打ち寄せる品々を巡るやり取りの記録類や、活発な南宋交易の跡を示す「阿弥陀経石(あみだきょうせき)」「石造狛犬(せきぞうこまいぬ)」や宋版一切経(そうはんいっさいきょう)を底本とした「色定法師一筆一切経(しきじょうほうしいっぴついっさいきょう)」や関連文書などを通して、中世の宗像大社の動向をふり返ってみたいと思います。

第4章 三十六歌仙図扁額の美 ―近世の宗像大社と福岡藩

戦国の動乱の中、宗像大宮司家が断絶するという危機があったものの、豊臣秀吉の九州平定後に筑前および筑後・肥前の一部を所領として与えられた小早川隆景(こばやかわたかかげ)は天正18年(1590)に辺津宮拝殿の寄進、さらに慶長5年(1600)に入国した黒田長政(くろだながまさ)以降の福岡藩主は宗像大社に手厚い庇護を加え、九州の中心的な神社としての歴史を歩んできました。この間、田島社(たしましゃ)と呼ばれた宗像大社には、歴代の福岡藩主黒田家による奉納・寄進が相次ぎました。このコーナーではその最も華麗なる遺例の一つ、第三代藩主黒田光之(みつゆき)奉納の狩野安信(かのうやすのぶ)筆「三十六歌仙図扁額」や、同じく光之、第十代藩主斉清(なりきよ)奉納の刀剣類をご紹介します。

豆知識

チケット・アクセス チケット・アクセス



入 館 料

[一般] 1000円

[高・大生] 700円
団体20名以上 各200円引

[中学生以下] 無料(ただし保護者の同伴が必要です)

*障害者手帳をお持ちの方は200円引、その介護者1名は無料です
IDEMITSU Museum of Arts 出光美術館
前売情報
2014年6月14日~8月3日までの期間、
当館受付にて前売券を販売
[一般] 1,000円 → 800円
[高・大生] 700円 → 500円
交  通

JR線「有楽町」駅
・国際フォーラム口より徒歩5分

東京メトロ有楽町線「有楽町」駅
都営三田線「日比谷」駅
・B3出口より徒歩3分

東京メトロ日比谷線・千代田線「日比谷」駅
・有楽町線方面 地下連絡通路経由
B3出口より徒歩3分