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第4章 2000年〜
事業部と製造会社に分散していた機能を1つの会社に集約し、継続する事業を選択する。出光ユニテックの誕生は、この“選択と集中、統合”を具現化する動きであった。

出光ユニテック誕生の経緯

これまでの出光石油化学の加工製品事業は、出光石油化学が製品開発を行い、特許実施権や製造設備をユニ化工などの製造会社に供与し、製造会社で生産された製品を販売するという体制であった。
しかし、1992年に起きたバブル崩壊後の景気後退によって、加工製品事業の中核であったユニ化工の収支は大幅に悪化した。同様に、出光石油化学も、出光グループの新卒社員の採用数が減少し、加工製品部門への新入社員の配属は1994年度から実質ゼロとなった。
このような経緯から、1997年から製品部門の分社化の検討が始められ、1998年に具体的な実行案作りを開始した。その結果、1999年12月、出光石油化学加工製品部とユニ化工の統合を決定した。
この新会社設立の意義は以下の5点である。
(1)加工製品事業に特化・専念した自主独立経営
(2)加工業への意識転換
(3)開発・製造・販売を一体化した機動力の発揮
(4)商品開発のスピードアップ
(5)プロパー化による採用の柔軟化と企業体力の強化
2000年4月1日、出光ユニテック株式会社が誕生した。継承会社であるユニ化工の増資によって資本金を3億円とし、出光石油化学の加工製品事業部門を吸収して商号を変更した。新社名は、両社の頭文字である「出光」と「ユニ」を統合し、技術(テクノロジー)に立脚した事業を推進する意味を込めて「テック」が付けられた。設立時の従業員数は関係会社3社を含めて516名であった。
出光ユニテック発足に当たって、当時の佐藤博社長は社員に以下の点を強調している。
(1)研究・製造・販売それぞれの立場で、起業家精神を醸成して専門プロ集団を目指す。
(2)社員各人が、それぞれの立場で常に問題意識を持ち、鋭い感性と新しい発想で現状を打破し、意識改革を推進する。
本社は、2000年6月に東京都文京区小石川一丁目の出光後楽園ビルに移転した。

コーポレートガバナンスの整備

出光ユニテックは会社設立後、コーポレートガバナンスの整備のために、出光興産による監査および指導により、2004年に取締役会規程、職務権限規程、職務分掌規程などの整備を行い、2006年にはコンプライアンス規程、リスクマネジメント規程を制定し、コンプライアンス委員会、リスクマネジメント委員会を定めた。
一方、2000年代に入り、出光興産グループも変革の時代を迎えた。2004年8月に出光石油化学を出光興産に経営統合し、2006年10月には出光興産の株式を東証一部に上場した。
出光ユニテックでは、出光興産の株式上場に対応した経理システムを導入し、連結子会社としての決算の透明性を確保した。
また、2008年には、出光ユニテック設立から使用してきたR/3に代わる基幹システムとしてI-ルネサンスを導入し、生産管理、物流業務、経費処理に関わる効率化を行った。

関連会社の統合

“選択と集中、統合”という方針に基づき、前述のように2004年10月に光化学工業が出光ユニテックに統合された。
また、1995年に出光石油化学から汎用フィルム販売会社として分離独立していた出光プラスチックも、2006年6月、両社間で事業譲渡契約を締結し、当社に統合された。
プラロック社は、1999年2月に出光石油化学の100%子会社となったが、その後2008年3月に出光ユニテックがプラロック社の株式を買い取って子会社とした後、2009年11月に当社に統合された。
さらにPSシートメーカーであった太洋化成株式会社(以下、太洋化成という)は、2008年にシート事業から撤退し、2009年3月に太洋化成の事業を出光ユニテックに譲渡する形で当社に統合された。

コラム 出光プラスチック

1984年にユニ化工を設立し、自社生産品を中心とする事業に大きく舵を切った製品販売部であったが、その後も部内に、自社製品以外の汎用製品の販売機能が残された。このため、千葉・兵庫両工場の建設と整備が一段落した1995年、“商社販売的事業”を行う出光プラスチック株式会社を設立し、自社製品以外の販売機能を同社に移管した。出光プラスチックでは、2006年に出光ユニテックに統合されるまでの間、各種汎用製品の拡販に努めるとともに、フィルム製品の海外からの調達、「メディペール」の販売拡大、「RS缶」の開発にも注力した。

コラム 「メディペール」と「RS缶」

  • 「メディペール」
    「メディペール」
  • 「RS缶」
    「RS缶」
1980年代、注射針などの医療廃棄物は段ボールにポリ袋を敷いた容器に詰めて廃棄されるのが一般的で、廃棄物処理作業員の医療感染事故の危険性をはらんでいた。このため、安全性の高い医療廃棄物容器を求める声が高まり、1990年に再開封できない医療廃棄物容器「メディペール」を開発した。この容器は、日本産業廃棄物処理振興センターから優良感染性廃棄物容器としての認定を受けるとともに、1991年にグッドデザイン賞を受賞した。
「RS缶」は、大手インキメーカーから「インキを使用した後もリサイクル・リユースできる容器が開発できないか」という要請によって開発された。約2年間の検討の結果、インキの使用後、容器を洗浄した上でリサイクル業者がプラスチック原料に再生し、再び容器に成形するという完結型のリサイクルシステムとして1999年11月から販売が開始された。
「RS缶」の回収方法
「RS缶」の回収方法

電子材料分野への展開

液晶テレビが急速な普及・拡大を続けていた2006年、三重県亀山市にある太洋化成は、PSシート製造で培ったノウハウを液晶テレビに用いる反射板・拡散板の製造に生かせるという新規事業参入への条件を備えていた。
このため、同所に出光ユニテックの機能部材工場を建設することが決定され、2007年3月末に建屋が完成した。4月にはシート製造機も設置され、新規部材開発に向けた研究開発がスタートしたが、頻繁なモデルチェンジに加えてメーカー間での競合が激化し、安定した生産・販売を継続することができなかった。また、工場建屋に重大な瑕疵が発見され、床全面を改修するといった事態にも見舞われた。
2008年9月にはリーマンショックが発生し、世界的不況の中で日本の家電業界全体が業績不振に陥ったことにより、2012年9月、機能部材工場はディスプレイ関連部材の生産を中止した。

プラロック事業の進展

「プラロック」は、需要の増加とともに、お客様からのBCP対応が求められ、新しい工場の建設が課題となった。
そこで、機能部材工場を、2012年10月に三重工場に名称変更し、同年12月に「プラロック」の第2製造拠点としての体制を整えた。
三重工場の完成によって、地震などの重大災害発生時の「プラロック」の供給リスクは大幅に低減した。

コラム 太洋化成の「PSシート」

現在「三重工場」として「プラロック」の生産を行っている旧太洋化成は、かつて出光石油化学の子会社として熱成形容器用PSシートの製造を行うメーカーであった。太洋化成では、一般PSシートに加え、PSシートに「根来」「網代」といったパターン模様を印刷したPSフィルムを熱ラミネートした「プリントシート」、ベルト法を用いて印刷されたPSシートを熱ラミネートした「ハイピッチシート」のほか、出光石油化学からライセンスを受けた「マルチレイ」「マジックトップ」「リブレイ」(耐熱PET熱成形容器)の生産も手掛けた。このように多岐にわたるシート成形技術と品質管理技術を基に、現在「プラロック」の生産を行っている。

コラム 機能部材事業への取り組み

「ユニタックレイ」
「ユニタックレイ」
2008年4月に、液晶ディスプレイのプリズムシートを保護するプロテクトフィルムの事業化にチャレンジした。
「ユニラックス」で培った技術に基づいて開発したプロテクトフィルム「ユニタックレイ」は、多層押出によって製造するため、製造工程の簡略化によりコストダウンが可能となる。さらに、原料の全てがポリオレフィン系であるため、廃棄物処理の面でも優れている。
2009年に千葉工場内に設備が導入され、2011年からお客様への納入を開始している。

本社事務所の移転

ワンフロア化された本社
ワンフロア化された本社
当社設立時の本社は東京都港区芝五丁目にあった旧出光三田ビルに置かれていたが、設立から3ヶ月後の2000年6月に文京区小石川一丁目にある出光後楽園ビルに移転、2006年10月には中央区新川一丁目の新川NSビルに移転した。
さらに、2012年5月に東京都港区芝四丁目のNOF芝ビルへ移転し、本社機能のワンフロア化が実現した。
2012年10月に、西日本営業部(大阪)は大阪市中央区南船場三丁目の出光ナガホリビルに移転、2013年4月に、西日本営業部(福岡)は福岡市博多区博多駅東二丁目の安川産業ビルに移転した。
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