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第三章 1986〜2000年
千葉工場と兵庫工場の完成によって、自社技術に基づく商品の生産が可能となり、「マルチレイ」「ユニラックス」「ピュアレイ」に続き「プラロック」「ユニロン」などの主力製品の開発が進んだ。

広報活動の展開

  • 出光パッケージングニュース
    出光パッケージングニュース
  • 「東京国際包装展(86東京パック)」
    「東京国際包装展(’86東京パック)」
    (『出光石油化学25年のあゆみ』より)
製品販売部では、自社工場の建設と併せて、宣伝・広報活動にも力を注いだ。その1つが1984年7月から始まった無料の情報誌『出光パッケージングニュース』の発行である。包装関連技術で最先端を走っていた欧州からのレポートを中心に、新しいパッケージの開発動向やドイツにおける包装廃棄物の規制問題などを扱ったこの情報誌は、数多くのユーザーの間で好評を博し、出光石油化学全体のブランドイメージの向上にもつながった。
また、製品販売部の実力を問うイベントとして、当時東京・晴海の国際展示場で2年に1度開催されていた国際包装展「東京パック」に初めて出展したのは1986年であった。20コマのブースに、「マルチレイ」「ユニラックス」のほか「マジックトップ」「ユニマーブ」「オパレイ」(無機質多層シート)「リブレイ」(耐熱性PETシート)といったオリジナル商品を所狭しと展示し、会場での商談などを通じて新しいお客様との取引につなげた。以降、東京パックへの出展は現在も継続している。
CPC プロジェクトがアウトドアライフ用品を「国際ギフトショー」に出展(ピックジョイシリーズ、クーラー&ジョグ)
CPC プロジェクトがアウトドアライフ用品を
「国際ギフトショー」に出展
(ピックジョイシリーズ、クーラー&ジョグ)
また、当時としては珍しかったプラスチック製品を直接消費者にアピールしたのは、1985年にオープンした「プラスチックプラザ・ギンザ」に代表されるCPCプロジェクトである。CPCはCreative Plastics Cultureの略称で、プラスチック製品によって新しい生活文化を創造しようと呼びかけるプロジェクトであった。このプロジェクトでは、アウトドア用品や生活小物などのプラスチック商品を開発したり、国内外のプラスチック製生活用品の情報を収集して、プラスチック文化の創造・提案を行った。1985年9月に銀座四丁目の日章興産ビル1階にオープンした「プラスチックプラザ・ギンザ」には、CPCプロジェクトで企画されたキャンプ用品(ピックジョイシリーズ)やポリカーボネート製透明二重壁カップ(カップU)のほか、プロテインプラスチックを用いた文房具や輸入プラスチック製品が並んだ。銀座四丁目という場所柄から多くの来場者で話題となり、プラスチック文化のアンテナショップとして、また消費動向を知るための情報収集センターとなった。
その後、CPCプロジェクトとプラスチックプラザは出光興産のグループ会社に移管されたが、プラスチック製品を消費者の方々に直接PRした意義は大きかった。

コラム 広報活動の原点

商品パンフレット
商品パンフレット
出光ユニテックの広報活動については、1983年に出光石油化学に入社し、1990年
12月に急逝した鈴木孝明の功績が大きい。彼が製品販売部時代に残した功績は
(1)商品名称のルール化
(2)会社概要、商品パンフレットの装丁のルール化
(3)東京パックへの出展と有効活用
(4)「出光パッケージングニュース」の発刊
などである。
この「出光パッケージングニュース」の編集に当たっては、ドイツ在住の鷹野氏ご夫妻の尽力も忘れてはならない(ご夫妻とも2011年ドイツにて逝去)。記者の資格を持たれていた鷹野ご夫妻は、欧州各国で開催される包装展を巡り、包装関連の最新情報とパッケージのサンプル・写真を、同誌が廃刊される2002年までの19年間、日本へ送り続けていただいた。

「マジックトップ」の開発

製造・流通段階では密封性を確保し、開封時には簡単に開けられる「マジックトップ」は、「マルチレイ」の改良開発の中で発明された。
1986年10月の「東京パック’86」で初めて展示された「マジックトップ」は、その後10社近くの国内熱成形容器メーカーにライセンスされ、現在でも広く食品容器として好評を博している。

コラム 「マジックトップ」

「マジックトップ」
「マジックトップ」
「マジックトップ」は、食品充填後の殺菌工程や物流段階ではフタのはがれがなく、容器を開封するときには容易に開けられるという機能を持つ熱成形容器である。
1985年、営業部門から「競合他社が易開封性の熱成形容器の開発に力を入れているため、我が社でも急いで開発に取り組んでほしい」との要望があり、本社の企画開発部門も「易開封性」をキーワードに新しい容器の開発を検討していた。
このような時期に商品研で、レトルト殺菌の後にPE表面層と下のPP層の間の剥離強度が低下することを発見、これが「マジックトップ」開発の引き金となった。
約1年間の開発期間を経て開発されたこの容器は、1986年に開催された「東京パック’86」で「ピールトップ」の名称でデビュー、その後、先願商標の関係で同年12月に「マジックトップ」と名称を変更して正式上市された。この技術は、国内のほか、米国、欧州、豪州、韓国にもライセンスされた。

「プラロック」の開発とプラロック社の設立

  • 高品質ジッパーテープ「プラロック」
    「プラロック」
  • 設立当時のプラロック社
    設立当時のプラロック社
「マジックトップ」と同時期に上市されたのがチャックテープ「プラロック」である。1981年から製品開発に着手し、テスト販売したチャック袋が嵌合不良のためクレームを起こすという大失敗を経験した後、1984年10月に小型異形押出成形メーカーである株式会社フジプラ精工(以下、プジプラ精工という)とチャックテープの製造を共同開発することになった。2年間の開発期間を経て1986年9月にLDPE系「プラロックL-100」「プラロックL-200」を、同年12月にPP系「プラロックP-500」を上市した。
この当時、フィルムにチャックをヒートシールする設備を持っていたコンバーターは少なく、チャックテープの市場も限られていた。このため、機械メーカーにチャックテープ融着装置の開発を依頼し、この融着装置を紹介しながら、チャックテープ市場を開拓して「プラロック」の販促に努めた。
その結果、販売から5年後の1991年には、月間販売数量が当初の10倍(500万m)になるという伸びを示し、同年、出光石油化学とフジプラ精工の出資によるチャックテープ製造合弁会社・プラロック株式会社(以下、プラロック社という)を設立した。
その後、1999年2月に、フジプラ精工社長の急逝によって出光石油化学が株式を買い取り、プラロック社は出光石油化学の100%子会社となった。また、2001年には日本企業との合弁事業として中国でのチャックテープの生産を開始した。

千葉工場の拡充

  • ユニマーブ
    ユニマーブ
  • 「ストラテック」を用いた包装資材
    「ストラテック」を用いた包装資材
1987年2月、出光石油化学製品販売部が東京都中央区銀座四丁目の日章興産ビルに移転したことに伴い、ユニ化工本社も同所へ移転した。4月には、ユニ化工千葉工場の第1期工事が完成し、「ユニラックス」1・2号機とPE系多層インフレーションフィルム「ユニマーブ」の本格操業を開始した。
「ユニラックス」に次ぐ2番目の商品として1986年に千葉工場が導入したのが、西ドイツ・ライフェンホイザー社のライコフィル技術を用いたスパンボンド法によるPP不織布「ストラテック」であった。1987年には、PPスパンボンドを用いた使い捨て紙オムツの製造も開始し、一般小売用「マイパーミー」と石化販売店向け「メルファー」の名称で販売を行った。
1990年以前に紙おむつの製造は中止したが、当社における不織布技術の先駆けとなる製品であった。
「マイパーミー」
「マイパーミー」
一方、千葉工場の主力製品「ユニラックス」の製造・販売は順調に進み、1990年10月には千葉工場の第2期工事が完成、「ユニラックス」3号機が稼働を開始し、また1996年12月には「ユニラックス」4号機も稼働を開始した。

コラム 「プラロック」とフトン圧縮袋

再開封が可能なチャック袋の市場調査は1979年に始まり、1981年には本格的な技術開発が開始された。当初は、PP系のチャックテープを成形し、それを袋用フィルムに熱や超音波で融着し、チャック袋を製造する方法が採用された。しかし、チャックテープを委託製造した工場が東海道新幹線の高架下にあり、列車が通過するたびに製造装置自体が振動して嵌合強度などにバラツキが生じ、試験販売で大きなクレームを発生させた。このため新たなチャックテープの生産先として、自動車用ブレーキチューブなどの小型異形押出成形品を製造していたフジプラ精工とチャックテープの製造を共同開発することになった。
「プラロック」が開発されている頃、名古屋支店に販売担当として勤務していた後藤修一によってチャックテープを応用したフトン圧縮袋が開発された。当時のフトン圧縮袋は、アイロンの熱によってヒートシールを行ったり、プラスチック製の棒と受け具を用いて封止するのが一般的であった。1991年に、「ユニロン」と「ユニラックス」をラミネートしたフィルムに「プラロック」を使用して発売が開始されたチャック付フトン圧縮袋は、またたく間に人気商品となった。特に、1993年から1994年にかけてテレビショッピングを通じて一大ブームを巻き起こした。このため、1995年4月に千葉工場でフトン圧縮袋を中心とした製袋加工を開始したが、基本特許を申請しなかったため、海外メーカーを含めた多くのメーカーがこの市場に参入して価格が暴落した。2000年から2002年にかけて、テレビショッピングに再登場したことでブームが再燃したが、それも3年後には衰退したため、2007年度末にこの事業から撤退した。

兵庫工場の拡充

「マルチレイ」2系列と「ピュアレイ」の製造装置を設置したユニ化工兵庫工場は1987年5月に竣工した。「マルチレイ」はその後、1990年に3、4号機、1995年に5号機が増設された。
兵庫工場の敷地内には、包材研究室も併設され、チューブラー延伸技術によるONYフィルムの研究機も設置された。
ナイロン6を原料とするONYフィルムは、1984年4月から開発を開始し、1988年4月に包材研究室に「ユニロン」1号機を設置して検証運転を開始、その後装置はユニ化工兵庫工場に移管されて1991年4月に商業生産を開始した。

ユニクレスト事業の展開

光化学工業は1980年頃まで極薄強化フィルム(UFフィルム)の好調に支えられてきたが、輸入品の増加などによって経営が圧迫されてきた。このため、出光石油化学から導入したSUフィルムなど高付加価値フィルムメーカーへの転換を図ったが、輸入品の攻勢は激しさを増し、さらなる商品力の強化としてインフレシーラント分野にも進出することを決定した。同時に、営業機能は出光プラスチックに移管し、光化学工業は製造に専念することになった。
その後、厚木工場の閉鎖、汎用品中心からシーラントフィルム「ユニクレスト」へのシフトという構造改革を図った後、光化学工業は、2004年10月、出光ユニテック設立の主旨である“選択と集中、統合”の方針に基づいて出光ユニテックに統合された。

プロテインプラスチック事業

プロテインレザーを用いたソファ
プロテインレザーを用いたソファ
食品包材に特化して事業の拡大を図る一方、製品販売部は1987年、アイン・エンジニアリングが開発したプロテインプラスチックの技術導入を行った。プロテインプラスチックは、牛皮(後にシルク繊維などへも拡大)を物理的に微粉化したプロテインパウダーを塩化ビニルやウレタンなどのプラスチックや塗料・インキに混ぜ合わせ、人工皮革や塗料の機能を向上させる素材である。
プロテインパウダーは、天然素材である牛皮の持つ環境に応じて湿度を吸収・放出するという特性を生かし、汗のべとつき感を感じさせないソファなどの家具用レザーや、しっとりした手触り感を持つ塗料など、さまざまなものに広く採用された。
プロテインペイントを用いた各種製品
プロテインペイントを用いた
各種製品
ユニ化工では1988年、出光興産の子会社であった沖縄石油精製の敷地内に第3番目の自社工場となる沖縄工場を設置し、プロテインパウダーの生産を開始した。その後、プロテインパウダーは、アウトソーシングによって生産されることになり、沖縄工場での生産は1994年に休止されたが、2000年に出光テクノファイン株式会社として出光石油化学から分社独立するまでの間、プロテインプラスチック事業は製品販売部を支える事業の1つであった。

コラム 「ユニロン」と「ユニアスロン」

商品研では1979年から、熱成形容器用シートである二軸延伸PSシート「OPSシート」の開発を行うことになり、横型チューブラー二軸延伸技術を採用した。しかし、横方向にチューブラー原反を押し出す方式では、吐出量が一定以上になると原反が下に垂れ下がり、安定した延伸シートの成形が難しいことが分かり1983年に開発を中断した。その後、この研究成果を生かすために各種樹脂への応用が検討され、1984年にNY6樹脂を用いた二軸延伸ナイロンフィルム(ONYフィルム)の開発を決定した。このONYフィルムは、出光石油化学以外の樹脂を使った初めての製品となった。1986年に、兵庫工場敷地内の包材研究室に研究機を設置、1991年4月、兵庫工場で商業生産を開始した。
その後、特殊NY樹脂をNY6にブレンドした直線カット性を持つONYフィルム「ユニアスロン」(1992年11月上市)の開発にも成功し、この技術は国内のONYフィルムメーカーにもライセンスされた。
フィルム価格の低迷や中国での合弁事業の失敗(2003年契約締結、2010年合弁会社清算)から、ユニロン事業の継続は一時危ぶまれたが、2000年代後半に入り、チューブラー成形法の特長である縦横の延伸バランスと優れた成形性が注目され、包装分野以外の工業用フィルムとしての需要が開拓された。その結果、現在では「ユニラックス」に次ぐ当社第2の大型フィルム商品となっている。
2011年12月には、同じチューブラー法でONYフィルムを製造する株式会社興人(現・興人フィルム&ケミカルズ株式会社)とフィルム製造合弁会社であるK&Iフィルム株式会社を設立し、2013年5月に兵庫工場に新たなONYフィルム装置が竣工した。
「ユニロン」「ユニアスロン」の用途例
「ユニロン」「ユニアスロン」の用途例
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