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マルクスと出光の人間観の相違(2)

(出典:1966年刊『マルクスが日本に生まれていたら』44〜45頁)

質問
いくら使っても使いきれないほど、物がふんだんにあれば、物に対する執着心、よけい取ろうとか、そういう人間の我欲はなくなると考えるのは間違いでしょうか。

出光
それは数学だよ。心の持ち方が大切なことであって、いくら物があったって、次の難問が起こってくるよ。いつでも心で、人間というものはかくあるべきものなり、というものをもっていなければいけない。これが人間の尊厳であり、ぼくが人間尊重と言う意味もそこにある。
人間を放っておけば、けだものだよ。みんな勝手なことをして人のことは考えない。そういう獣性をもっているのが人間だよ。だから、それをそうじゃなく、二人以上で暮らすからには、お互いにわがままをつつしんで、相手の立場を考えてお互いに助け合うようにしなければならない。
そうすれば平和でしあわせな社会が出来てくる。それが人間の尊厳じゃないかな。

物の面から言えば、ぼくは衣食足って礼節を知る程度で結構だと思うんだ。
日本では仏教の坊さんなんか、なければ食わずに済ますという極端なこともあるが、それは例外として、衣食は人間として足らなければならぬが、それ以上である必要はないと思うんだ。
そこで、ぜいたくをやれば、そのぜいたくのために対立が起こる。ぜいたくをつつしめば対立がなくなる。
ふんだんに使えるように物があればいいじゃないかというが、ぼくはそれで人間の幸せが来るとは思わない。
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