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資本主義社会では、愉快な真の労働はありえないか

休日返上、昼夜を徹した工事10ヶ月で完成
休日返上、昼夜を徹した工事10ヶ月で完成
(出典:1966年刊『マルクスが日本に生まれていたら』163〜165頁)

質問
マルクスは労働することこそ、人間の本質であるとします。
労働することによって人間は自己を実現し、人格を成長せしめるから、労働は正当な生命活動であると言っています。この点、店主の労働観と同じではないでしょうか。
しかし、マルクス主義は、資本主義下では搾取されているから、労働は愉快でなく、また人間の実現ではなくて、資本への苦役としてとらえています。
はたして愉快な労働、人間の自己実現の労働は、資本主義下ではありえないのでしょうか。

出光
日本人には本来、労働は神聖であって、金で切り売りすべきものではないという考えがある。
「物の国」のマルクスの考えとはそこのところがはっきり違う。
マルクスも労働神聖論みたいなことを言っているようだが、中身は労働の切り売り思想だから、いわば口頭禅じゃないか。

それからマルクスは、資本主義下では労働は苦役となると言っているということだが、それは自分のために働くか、全体のために働くかということで、苦役ともなれば楽しみともなるんだ。
自分のために働くということであれば、他人のために働くことは苦役になるだろうが、全体の平和・福祉のために働くということならば、それは苦役どころか、尊い、楽しい労働となる。
お互いのため、皆のために働くとなれば、そこに労働の切り売りではなくて、労働は神聖なものであるという考えが出てくる。
そしてその働きは非常に力強いものとなるんだ。

これは君らがそうじゃないか。残業手当も受けとらずに、時間を超越して働いているだろう。
出光の人は、肉体の苦労を精神的に楽しんでいるということだ。
これが、労働の切り売りをしない日本人のあり方ではないかと思うね。
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